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 ジルーシャ・ベルンシュタインは滞在先の部屋で清々しい朝を迎えていた。

 開け放した窓から差し込む朝日の眩しさで、彼女は爽やかなその青い瞳をにじませた。
 高地の澄んだ空気はひんやりと胸に染み渡る。

 騒動から半年。
 件の置手紙を読んだ父親が、その後どうしているのかは知る由もない。激怒し発狂する顔をたまに想像して笑い転げてみたりはする。

 出奔時に襟足からバッサリ切り落とした髪も、今では肩まで伸びた。
 内密に手助けをしてくれていた幼馴染の下男に、「連れては行けない幼い妹のこと諸々含め宜しく頼む」と、手間賃にその金色の束を渡してきた。惜しみない贅を尽くして手入れされた美しい金髪は良い小遣いになっただろう。

 そろそろ彼に手紙でも書いてみようか、そう思いを巡らせながら窓の下を見ると、実家から連れてきた相棒の御竜と目が合う。「あ、飼い主!」とでも言いたそうな半開きの嘴から朝食の飼い葉が零れている。

「おはよう、アルスヴィズ」

 御竜は愛する主人に名前を呼ばれると、「ヴォッ!」と低い声で嬉しそうに鳴いた。

 成人男性の倍以上の身の丈もあるこの“御竜(ぎょりゅう)”という生物は、鳥にも似た羽毛の爬虫類で二足歩行の草食動物。
 鋭い嘴に長い爪という外見にそぐわず従順で、人間の指示ならある程度理解出来る知能を持っている。長く家畜として飼い馴らされている種だ。足腰の筋力が逞しく、ジルーシャの生家であるところの商会でも荷車を牽く馬として使われていた。

 このアルスヴィズに至っては、ジルーシャが10歳の時に卵から孵化させ、姉弟のように育って6年の相棒だ。

「起きたかジルダ」

 ニコニコと愛竜を愛でていると、今度は別の声がジルーシャに向けられた。
 建物の表から厩舎に向かって歩いてくる人影がある。声の主だ。

「あ、バッソおじさんおはよう!」

 ジルーシャは寝巻き姿にも関わらず、窓から身を乗り出し男に手を振って挨拶する。頭が揺れる度に前髪の寝癖がぴょんぴょん踊る。残念なことに本人の知るところではない。
 
 このバッソおじさんと呼ばれた四十がらみの男には、相棒アルスヴィズの世話をしてもらっている。
 元々どこかの貴族家で馬丁をやっていて、馬のみならず御竜の生態にも詳しいので安心して任せられる。御竜と関わりたくて馬丁の仕事を辞めたくらいの筋金入りだ。

「まーだ着替えてないのか? 飯食ったら店舗の方に顔を出してくれ。団長が呼んでたぞ」
「もうそんな時間? パパにはすぐ行くって伝えておいて!」

 部屋には時計などという高価なものは無く、時計塔が知らせる鐘の音で生活を刻む。ぐっすり眠っていた彼女の耳に、刻6つの音は聞こえていなかったようだ。
 一瞬ジルーシャの顔が青ざめたように見えたが、言うや否や、窓から引っ込んだと思えば一人で更にかしましいことになる。

「やだー! 寝癖治らない! わたしのエプロンどこー!」
「そんなに焦らなくてもいいんだぞ~」

 と声をかけたが、窓の向こうには既に彼女の姿は無い。ドタバタとした物音だけが聞こえる。
 バッソは飽きれたように御竜と顔を見合わせるばかりだった。

 ◇ ◇ ◇

 ジルーシャ・ベルンシュタインは現在、ただの『ジルダ』と名乗っている。
 父親が自分を捜索しているかは不明だが、念のために素性を隠すことにした。

 出奔後、通りかかった商団に(無理矢理居座る形で)拾われ、商人見習いとして働き始めた。御竜を連れていたので、本人以上に重宝されている。

 商団は長期の移動が多いためか家族連れで行商をする者が多い。この商団『やまびこ団』も5世帯15人の家族からなる集団だ。商団としては小規模だが、そうなると団長は村長のような存在になる。

 集団の父という意味を込めて、ジルダは団長を「パパ」と呼んでいる。

 やまびこ団はしばらく山間部の都市フリッセンに滞在するようで、空き店舗を借り受け、開店の準備に余念がない。休日や祝日には広場の蚤の市にも参加するため、猫の手も借りたいくらいに忙しいい。

 昨日、ようやく店の中に棚を運び込み、今日は商品を陳列する予定だ。ジルダもレイアウトの勉強にと、いちから携わることになっていた。
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